「松尾育英会 設立に至る経緯」
亡くなられる半月ほど前でした。副総裁の緒方竹虎さん(1888〜1956年=福岡市出身)が、ひょっこり見えた。銀座四丁目に私どもが経営していた中華料理の談話室「桃山」−。
「海外から引き揚げてきた青少年の教育をどうするか。優秀でも、家庭が貧しいために進学できない若者たちをどうするか。国も手が回らない。だれか温かい手を差し伸べてくれる人はいまいか。政治家は金がないしなあ」
主人も私も、聞き流していたところ突然の訃報(ふほう)です。五反田のご自宅にお悔やみに参りましたらコト夫人が言われた。
「主人が一番心を残していたのは教育問題です。“太陽族”をこのままはびこらせてはいけないと、言い続けて世を去りました」
帰りに、主人が独り言のようにつぶやきました。“あの時の緒方さんの話、ありゃ、遺言だ” “松尾さん、やってくれないか” というなぞかけだったのだ…。
私産の株券八千万円と現金二千万円、計一億円を基金に昭和32年1月、財団法人・松尾育英会を設立。この年の暮れには、今、東京都板橋区加賀一丁目にある鉄筋3階建ての学生寮(個室52)が完成しました。昨年4月入寮の29期生までに採用された育英生は166人。佐賀14人、長崎12人、福岡8人、山口6人…沖縄から北海道まで全国各ブロックに及んでいます。
主人も私も、学校を出ていないために、どれほど恥ずかしく悔しい思いをし、世に出るチャンスを逃したか。家庭が貧しいために進学できない秀才たちを全国から選抜し、大学を卒業させよう。子ども芝居の時から各地を渡り歩いてお世話になった社会への恩返しをどんな形でと、考え続けた結果、育英事業に思いを定めたのです。
なにしろ、この育英会は、大学卒業までの4年間(医系は6年間)、いっさいの学費を給付し、3度の食費も寮費も、無償です。卒業後の進路も自由で、松尾系の会社にお礼働きする必要もない、というのです。
「そんな、うま過ぎる話、長続きしません」と許可をしぶる文部省に、主人は申しました。
「きのうきょう考えたことではありません。この事業のためには、全財産を投げ出す。生命保険もつぎ込みます」
「そこまで言われるなら」
やっとOKが出たのです。
育英会を出た子どもたち(私と育英生は“子ども” “東京のお母さん” と呼び合っています)の就職先は、外務、大蔵、通産などの八省庁に国鉄、電電会社、三井、三菱、松下、日立の各社、富士、住友銀行、それに医師、弁護士さんと多士済々です。
一昨年、主人が亡くなりますと、子どもたちは全国から参集し、何かと私たち一家の後ろ盾になってくれました。松尾栄蔵弁護士(佐賀・小城高−中央大卒、たまたま同姓)など、アメリカ研修を打ち切って帰国、今も顧問弁護士並みの働きをしてくれています。
お金は、いつ無くなるかもしれませんが、人材は、時とともに大きく育ちます。主人はいいものを残してくれました
(西日本新聞「聞き書きシリーズ」 “女役者” 「166人の後ろ盾」 [1986年4月2日] より転載)
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